反省≠自分責め。 自分にやさしいまま、改善できる。
またこんなことしちゃった。
なんて自分はだめなんだろう。
何かに失敗したときに
「振り返る」と「自分を責める」が
私はいつもセットでした。
そしてまた失敗して動けなくなる… ということもしばしば。
長年かけてそこを切り離せるようになり
マインドフルネスをお伝えする立場になった今、
特に真面目で責任感が強い方こそ、
このふたつが溶け合っていることが多いなと感じます。
でも実際、
責めないことは、甘えじゃない。
責めること自体に成長を生む力はない。
振り返ることと、自分にやさしくすることは、両立する。
ということを強調したい。
もしかしたら、ちょっとぐさっとくるかもしれませんが、
読んだ後、やさしい気づきが得られますように😌
痛み=反省の証?
痛みを味わうことを反省の証として学んだ方は、
たくさんいらっしゃると思います。(私含め)
たとえば、
・体育会系の部活で、誰かが悪いことをしたら、罰として走らされたり
・家庭内で親の言うことを聞かなかったら、家から放り出されたり
・勉強でミスしたら、ご褒美がもらえなかったり
昔はわりとあるあるでしたよね😅世の中が変わって本当によかったです🥹
このような経験を繰り返していると、当然
「正しく反省するためには痛みを味わう必要がある」と学習し、
もっと言うと
「痛みを味わい、かわいそうな自分である必要がある」
同情を引いて、はじめて許してもらえる、とインプットされます。
だから、
大人になっても、反省の証として自分を痛めつける
痛みを反省の証として扱う
という反応が自然になります。
痛みは改善を生まない
でも実際に物事を前に進めるために必要なのは、痛みではありません。
ニュートラルな内省と、次の行動です。
何が起こっていたのか
なぜ起こったのか
今から、自分はどうするのか
これらの振り返りと、感情的な痛みは、また別の話です。
脳のモードが違う
実は神経科学的にも言われている話です。
攻撃(自分責め) → 扁桃体優位(防御)
内省 → 前頭前野(学習)
攻撃は失敗を“問題”ではなく“危険”として扱うモード 。
内省は行動を変えるための“学習”として扱うモード。
失敗→自分責め→動けなくなる→また失敗…
のループは、ここから生まれます。
(まさに過去の私…)
出来事と感情を分ける
自分責めが癖になっている方にとって、いきなり手放すのは難しいですよね。
そういうときは一旦、他の方を例にあげてみるとわかりやすいかもしれません。
たとえば、
あなたのお家でお友達がお茶をこぼしたとき。
机の上がびちゃびちゃな状態そのものを改善するのは
「ごめんなさい」と泣き続けることではなく、すぐに拭くことですよね。
ここで強調したいのは、感情的なことを無視するという意味ではなく
切り離して考えるということ。
【事象】 【感情】
机の上を濡らした 申し訳ない
↓ ↓
すぐに拭く 謝る(お茶をこぼしたお友達目線)
ごめんなさいと泣いても、机は乾きません。
物事を前に進めるのはいつだって、次の行動です。
ニュートラルに見る練習
善悪のジャッジなく物事をニュートラルに見るのは、練習でできるようになるもの。
まずは自分へかけている言葉を見直してみるのがおすすめです。
なぜこんなことをしちゃったんだろう
→ なぜそうしたのだろう
“責任”は残し、“攻撃”だけ外す。
まずは責めていることに気づき、使う言葉をニュートラルにしてみると
少しずつ、おのずと習慣が変わっていきますよ😌
振り返ることと、自分にやさしくすることは、両立する。
振り返ることはできる。
でも、責める必要はない。
これからどうしたいか、今から選び直せる。
自分に対しても、誰かに対しても、痛みを与える必要はない。
責めないことは、甘やかしているわけじゃない。
振り返ることと、自分にやさしくすることは、両立します
ってこと、すこしずつ染み込んでいきますように😌
めぐ