"成功した側"になろうとしなくていい

今インドにいます!自分の心の奥を見つめるため、瞑想とヨガだけをしにきました。

10日間のアシュラム(修行場)での生活に一区切りをうち、携帯やPCを久しぶりに触る今。新鮮な感覚のうちに、複数回に分けて垂れ流していきます〜!

"成功した側→悩んでいる側"の構図

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こういう文句、きっと誰もが目にしたことがあると思います。

社会はこういう構図にしたがる。
なぜなら、双方にとってわかりやすい。売れやすい。

ここまで顕著だとわかりやすいものですが、実際はもっとソフトに溶けていて。

たとえば、誰かに求めていないアドバイスをされたり
それを受けてなーんかモヤっとしたり。身に覚えがある方も多いのではないでしょうか。

インドの、悟りを開いたっぽい方々

Rishikeshというヨガの聖地、スピリチュアルが根付く街にいるのもあり、たくさんの「悟りを開いた」とおっしゃるヨガの先生や、Healer(魂を癒す力があるみたいな方々)がいらっしゃいます。

道端で話しかけられておしゃべりしていると、
一部(いや、半分以上)の方々は

「自分はこの人の魂を癒せる!」という自己肯定のためにやっているんだな〜とか
「誰かの人生を好転できる」自分に固執したいんだな、というのが透けて見えます。
(誰かを救えた実感って、快楽だからね)

かと思えば、たとえば道端でアートを売っている方など
別に魂関連の仕事をしているわけではなくても、
この方は自分の才能を発揮することで、やわらかく世界を照らしているんだな
というのが伝わったり。

そういう方々は、自分が悟りを開いたとかあなたを救えるとか決して言わない。なぜなら、別にそれに固執していないから。

なんか、そんなもんなんだな。と改めて感じています。

"成功した側"になりたいのは、満たされたいからかも

誰かを導こうとすること自体が悪いのではなく、その裏にある意図を、注意深く見つめたいというハナシ。

誰かを導くための行動の裏に、
自分が成功者側でありたいというプライド
役に立った実感を持ちたいというエゴ
があるなら、
その固執は、相手をコントロールしたくなる欲になり、結果的に自分を苦しめることになる。

そのような方々を皮肉りたいわけではなく
成功した側にならなくたって、誰かを救うことがある。
ありのままの自分で大丈夫
ということ。

"成功した側"にならなくたって、誰かの光になれる。

自分の中に、満たされていない部分がある。
何かに苦手意識がある。
乗り越えていない傷がある。

これを欠陥として治そうとするのではなく、ただ見つめていられること。
持っていていいと認めること。
そのうえで、今ある幸せに目を向けられること。

この態度が、自然と傷が溶けるプロセスになり
結果的に、誰かの傷も溶かせる力になるよなぁ

と改めて感じています。

自己肯定感が低いな〜と自覚しながら、無理に抵抗しなくていいし
ヨガのアーサナが苦手だと思いながらヨガを教えたっていい
心のチャレンジを抱えながらカウンセラーになっていいんです。

私も傷があります。それでいい

私も今回の旅で、自分が努力して乗り越えた!!と思っていたトラウマが、まだ居残りちゃんがいることに気づけました。「乗り越えた!」という自分の、勇者みたいなストーリーに固執していたことにも気づけました。(ぐさっ)

どんな人も、自覚があろうがなかろうが、心の奥に何かしら持って生きている。
誰かに何かを伝えるときに
「成功者になって、そのあとずーっと幸せです!」
じゃなくていいんです。

傷を持ちながらも幸せを選ぶことはできるからね。
なにかが解決してなくたって、大丈夫。
ありのままのあなたでいてくれて、ありがとうございます♡


マインドフルネス・自分の心に向き合うやり方を知りたい方

ぜひレッスンに遊びにきてください☺︎

一緒に歩いていきましょうね。

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